東京高等裁判所 昭和57年(ネ)959号 判決 1982年12月21日
控訴人
藤井郁也
右訴訟代理人
戸田満弘
被控訴人
小田急電鉄株式会社
右代表者
利光達三
右訴訟代理人
花岡隆治
向井孝次
山田忠男
被控訴人
帝都高速度交通営団
右代表者
山田明吉
右訴訟代理人
鵜澤勝義
鵜澤秀行
瀧川三郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 控訴人
1 原判決を取消す。
2 被控訴人小田急電鉄株式会社は、同社が運行する走行中の旅客用の列車内及びプラットホーム上において乗客に対する商業宣伝放送をしてはならない。
3 被控訴人帝都高速度交通営団は、同社が被控訴人小田急電鉄株式会社の軌道上を運行する走行中の列車内において乗客に対する商業宣伝放送をしてはならない。
4 被控訴人らは、控訴人に対し、各自、昭和五三年一二月二二日から、被控訴人小田急電鉄株式会社については第二項の車内商業宣伝放送を中止するまで、被控訴人帝都高速度交通営団については第三項の車内商業宣伝放送を中止するまで、一か月につき一万円を、それぞれ当該月の末日ごとに支払え。
5 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
6 仮執行の宣言
二 被控訴人小田急電鉄株式会社
主文第一項同旨
三 被控訴人帝都高速度交通営団
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 被控訴人小田急電鉄株式会社(以下「小田急」という。)は乗客の輸送その他を目的とする会社であり、被控訴人帝都高速度交通営団(以下「営団」という。)は、帝都高速度交通営団法に基づいて設立された乗客の輸送を目的とする法人である。
2 控訴人は、昭和五五年一一月末日までは、日々、主として、小田急の玉川学園前駅から小田急と営団との連絡駅である代々木上原駅を経由して営団の赤坂駅までの区間を、運賃を前払し、乗車券の交付を受けて往復し、同年一二月一日以降は、玉川学園前駅から代々木上原駅を経由して営団乃木坂駅までの区間を、右同様の方法で、往復している者である。
3 小田急は、遅くとも昭和四七年ころから、玉川学園前駅と代々木上原駅間を走行中の列車内において、拡声装置を用いて、列車内の乗客に対し、小田急が経営する小田急向ケ丘遊園(以下「向ケ丘遊園」という。)に関する商業宣伝放送を反覆継続して行い、昭和四九年一一月一五日に小田急が経営する小田急御殿場ファミリー・ランド(以下「御殿場ファミリー・ランド」という。)が、また、昭和五一年一〇月二八日に小田急が経営する小田急箱根アスレチック・ガーデン(以下「箱根アスレチック・ガーデン」という。)がそれぞれ営業を開始した後は、御殿場ファミリー・ランド及び箱根アスレチック・ガーデンに関する商業宣伝放送をも、右同様の方法で、反覆継続して行つており、更に、昭和五六年四月ころからは、小田急の各駅のプラットホームにおいても、右同様の商業宣伝放送を行うようになつた。
4 営団は、昭和五一年三月三一日、営団の千代田線と小田急の小田急線とが相互に乗り入れ営業を開始した後、営団が運行し小田急の軌道上を走行中の列車内で右同様の商業宣伝放送を行つている。
5 控訴人は、被控訴人らに玉川学園前駅から赤坂駅又は乃木坂駅までの運賃金額を支払つて、被控訴人から乗車券を受取ることにより、被控訴人らとの間で右両駅間の運送契約を締結したものであり、その効果として、被控訴人らは、控訴人に対し、乗車駅から降車駅まで車内又はプラットホーム上の静穏をできるだけ保つよう努力する義務という意味での快適な輸送をする義務及び安全な輸送をする義務を負担する。
しかるに、被控訴人らの前記3、4の列車内での各行為は、乗客として走行中の列車内に拘束された状態にある控訴人に対し、聴取する義務のない商業宣伝放送を聴取することを一方的に強制するもので、被控訴人らの負担する前記の意味での快適な輸送をする義務に著しく反するのみならず、乗務員が走行中の列車内で商業宣伝放送を行うことは、運転の安全の確保に関する省令(昭和二六年七月二日運輸省令第五五号)第二条に規定する、乗務中は運転取扱に関する規定を忠実且つ正確に守り、関係者との連絡を緊密にし、打合せを正確にし、必要な確認を励行して運転状況を熟知し、協力一致して事故の防止に努め、旅客及び公衆に傷害を与えないように最善を尽さなければならない義務に違反することは明らかである。
6 更に、被控訴人らの前記3、4の列車内での各行為は、被控訴人らの営む鉄道の公共性を考慮することなく、走行中の列車内に拘束された乗客の弱い立場を利用し、拡声器を通じて一律かつ反覆継続して乗客の耳に商業宣伝放送を好むと好まざるとにかかわらず無理矢理に注ぎ込むこととなり、聴きたくないものを一方的、強制的に聴かされない自由という意味での控訴人の人格権を違法に侵害している。
7 小田急の各駅のプラットホーム上での商業宣伝放送も、有償の運送契約を締結して輸送の途中にある乗客に対して行われるものであり、乗客は、乗車駅の改札口を入つてから降車駅の出札口を出るまで事実上鉄道の施設内に拘束されていて、好むと好まざるとにかかわらず一方的強制的に耳に吹き込まれるものであるなどの点において、列車内にある乗客に対して行われる放送と本質的に異なるものではないから、小田急の負担する快適な輸送をする義務に違反し、かつ、原告の人格権を違法に侵害するものである。
また、右放送は、本来安全輸送管理上の中枢ともいうべき信号所の職員により行われ、特に小田急と営団の接続駅であつて複雑な安全管理が細心の注意をもつて行われなければならない代々木上原駅においても、運輸省の担当課(民営鉄道管理局運転車輛課)への届出も、相談もないままに信号所の職員によつて行われているから、安全な輸送をする義務にも違反している。
8 よつて、控訴人は、運送契約の債務不履行(民法第四一五条、商法第五九〇条)及び人格権侵害に基づいて、(一)小田急に対し、走行中の列車内及びプラットホーム上での商業宣伝放送の禁止を、(二)営団に対し、走行中の列車内での商業宣伝放送の禁止を、(三)被控訴人らに対し各自が列車内での商業宣伝放送を中止するまで一ケ月金一万円の慰藉料をそれぞれ支払うことを求める。
二 請求原因に対する小田急の認容
1 請求原因第1項は認めるが、同第2項は知らない。
2 同第3項のうち、小田急が向ケ丘遊園、御殿場ファミリー・ランド及び箱根アスレチック・ガーデンを経営していること、小田急が走行中の列車内及び各駅のプラットホーム上で右各施設に関する案内放送をしていることは認めるが、右放送を反覆継続して行つたことは否認する。
3 同第5項のうち、控訴人と小田急とが運送契約を締結したことは知らない。小田急が運送契約により善良なる管理者の注意によつて安全に輸送する義務を負うことは認めるが、その余は否認し、争う。
4 第6項は、否認し、争う。
5 第7項は、否認し、争う。代々木上原駅信号所における転轍器、信号機等の操作取扱いは、二名の職員によつて行われるように機器施設が設置されており、現在一四名の職員が二名ずつ交替でこれに従事している。転轍器、信号機等の操作取扱い業務は専従であつて、放送その他の業務を同時にあわせて担当遂行することはない。また、プラットホーム向けの放送は、右機器施設とは別個に信号所内に設置された放送施設において、モニター・テレビの画面や列車時刻表等を見ながら行われるものであつて、行き先案内や列車案内等の放送をする間に商業宣伝放送が折り込まれるにすぎないのである。したがつて、商業宣伝放送は、なんら安全運行に支障をきたすものではなく、運輸省鉄道監督局民営鉄道部運転車輛課等への届出義務もない事柄である。
三 請求原因に対する営団の認否
1 請求原因第1項は認めるが、同第2項は知らない。
2 同第3項のうち、小田急が走行中の列車内で拡声装置を用いて向ケ丘遊園などの施設の案内放送をしていることは認めるが、その余は知らない。
3 同第4項のうち、昭和五一年三月三一日、営団の千代田線と小田急の小田急線とが相互直通運転を開始したことは認めるが、その余は否認する。
4 同第5項のうち、控訴人と営団との間で運送契約を締結したことは知らない。仮に運送契約を締結したとしても、控訴人と営団とは代々木上原駅から赤坂駅又は乃木坂駅までの運送契約であり、営団は、運送契約により、善良なる管理者の注意をもつて安全かつ遅滞なく目的地まで輸送する義務を負うにすぎないものであつて、これ以上の義務は負わない。控訴人の債務不履行の主張は争う。
5 同第6項は争う。
四 小田急の主張
1 控訴人が主張する商業宣伝放送は、向ケ丘遊園などの健全かつ健康な施設で行われる催し物についての案内放送であり、第三者から料金を取得して、有償で第三者の営業を宣伝するものではない。また、その内容も聴く者に不快感を与えておらず、実施時間も催し物のある時節の午前一〇時から午後四時までの間、一回の放送時間は一〇秒ないし一五秒であり、実施回数も新宿駅から小田原駅又は片瀬江ノ島駅までを二区間に分け、一区間の乗車時間三〇分ないし四〇分に一回以下としており、その音量についても係員が適否を確認して調整をはかるなど格段の注意を払つている。小田急にとつて案内放送の効果は軽視できないものがあり、営業の自由の範囲に属するものである。
2 控訴人は運送契約において快適輸送義務を主張するが、契約条項上も法令上も右義務を規定したものはないから、右義務は認められるものではない。また、快適さは、それを決定する要素が多岐にわたり、一義的には決定しえず、感覚上の問題である以上、到底法的義務とすることに親しまない。仮に、快適輸送義務があるとしても、控訴人の主張する差止請求権を成立させる法的効果をもつものではない。
3 控訴人は人格権侵害を主張するが、控訴人が主張する聴きたくもないものを無理矢理聴かされない自由という意味での人格権が抽象的に観念されることは否定できないとしても、その侵害の具体的態様、対象、程度などによつてその適用の有無、法的効果などは異なり、一律でないことは明らかであり、小田急の案内放送の態様、内容からして、小田急の営業の自由を考慮すれば、少なくとも差止請求や慰藉料請求を認めなければならない人格権侵害はない。
五 営団の主張
被控訴人らの相互直通運転は、それぞれ自己の営業線上で相手方の車輛を借りて自己の乗務員を乗務させて運行しているもので、営団は、代々木上原駅から赤坂駅又は乃木坂駅までの区間以外については、控訴人に対し、何ら運送契約上の債務を負担するものではない。
六 被控訴人らの主張に対する控訴人の答弁
1 小田急の主張第1項は否認し、争う。小田急経営の向ケ丘遊園などの施設は高度の営利性を有しており、午前一〇時以前、午後四時以後にも商業宣伝放送が実施されている。小田急の商業宣伝放送は、小田急の利益にのみ行われ、乗客には何ら歓迎されるものではない。
2 同第2項は否認し、争う。鉄道関係法令中には、鉄道運輸規程第一条、鉄道営業法第一五条第二項、第三五条など、快適輸送義務を前提とする規定がある。
3 同第3項は争う。
4 営団の主張のうち、被控訴人らの相互乗入れ運転の取り決めは知らない、その余は否認し、争う。控訴人が営団の直通電車を利用する場合は、料金は全額営団に支払い、乗り換えることも要しないから、営団との間で玉川学園前駅までの運送契約が結ばれたとみるのが相当であり、また、商法第五七九条の類推適用により、小田急と連帯して運送債務を負うものと解するのが相当である。
第三 証拠<省略>
理由
第一小田急に対する請求について
一小田急が乗客の輸送その他を目的とする会社であることは、当事者間に争いがない。
二請求原因第2項の事実は、<証拠>によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
三小田急が代々木上原駅から玉川学園前駅までの区間で走行中の列車内において拡声装置を用い向ケ丘遊園、御殿場ファミリー・ランド及び箱根アスレチック・ガーデンに関する案内放送を行つていることは、当事者間に争いがない。右当事者間に争いない事実並びに<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 小田急は、昭和四六年以前から向ケ丘遊園を、昭和四九年一一月一五日から御殿場ファミリー・ランドを、更に昭和五一年一〇月二八日から箱根アスレチック・ガーデンをそれぞれ開園し、来園者から料金をとつて入園させ、園内に設けた有料の乗物、遊戯設備を入園者に利用させる方法で、右各施設の経営を行つている(小田急が向ケ丘遊園などを経営していることは当事者間に争いがない。)。そして、小田急は、その運行する列車内で、遅くとも昭和三八年ころには向ケ丘遊園について、更に御殿場ファミリー・ランド及び箱根アスレチック・ガーデンが開園してからは右各施設についても、商業宣伝放送を行い、遅くとも昭和五五年七月以降においては、右各施設において催し物があつたときは、右催し物について商業宣伝放送を行つている(一年のうち約六か月の間は、いずれかの施設で何らかの催し物が行われている。)。また、遅くとも昭和五六年四月ころには、小田急線の各駅のプラットホーム上においても右と同様の商業宣伝放送が行われるようになつた。
2 列車内での商業宣伝放送は、車掌が車内に備えつけられた放送設備を操作し、拡声器を通じて行つているが、遅くとも昭和五五年七月以降では、放送時間は午前一〇時から午後四時までの間に限られ、早朝、深夜及び通勤通学時間には行われておらず、一回の放送時間も一〇秒ないし一五秒という短い時間であり、放送回数は新宿駅から相模大野駅までを一区間、相模大野駅から小田原駅又は片瀬江ノ島駅までを一区間とし、各区間三〇分ないし四〇分の乗車時間について最大限一回とし、悪天候やダイヤの乱れがある場合には放送を中止することがあり、音量についても停車駅などの案内などの業務用放送と同一で、出発駅で車掌が車掌室と客車との間の戸を開け、乗客と同じ状況で音量が適切であるか確認したうえ、放送を行つている。なお、小田急の運転部運転課では、右商業宣伝放送に関して車掌の指導監督を行い、放送の文案についても承認を与える等の管理を行つている。
3 また、小田急線の各駅のプラットホーム上における商業宣伝放送の時間帯は、午前一〇時から午後四時までに限られ、一回の放送時間も一〇秒ないし一五秒である。
四前記二認定の事実によれば、控訴人と小田急との間においては、玉川学園前駅から代々木上原駅までの区間について、日々乗車券を購入した際に、運送契約が締結されたものというべきである。
控訴人は、右運送契約に基づいて、小田急は控訴人に対し車内又はプラットホーム上の静穏にできるだけ保つよう努力すべき義務という意味での快適な輸送をする義務を負うと主張する。しかしながら、小田急が車内又はプラットホーム上の静穏をできるだけ保つことに努力し、乗客にとつて快適な輸送を行うことは望ましいことであるとしても、右運送契約において、右のような意味における快適な輸送を行うこと又は商業宣伝放送を行わないことが契約の内容とされていると認めるに足りる証拠はないし、旅客の運送契約の内容を規律するものとして右のような意味における快適な輸送をすべきこと又は商業宣伝放送を行つてはならないことを定めた法令もみあたらない(控訴人主張の各法令が運送契約の内容を規律するものとして控訴人の主張するような事項を定めたものとは、とうてい解することはできない。)。したがつて、小田急が右のような意味における快適な輸送をなすべき義務を控訴人に対し負うことを前提とする控訴人の主張は、理由がない。
もつとも、右運送契約によつて、小田急は、控訴人に対し、安全に目的地まで輸送すべき義務を負うものと解されるが(小田急も、安全輸送義務を負うことは、認めている。)、前記三の2認定の事実によつて認められる走行中の列車内での放送の時期、時間、態様に照らせば、小田急が列車内で商業宣伝放送を行うことによつて旅客の運送に危険が生ずるものとは認められないし、他にこれを認めるに足りる証拠もない。また、小田急線の各駅のプラットホームにおける商業宣伝放送についても、信号所における転轍器、信号機を操作する職員によつて行われていると認めるに足りる証拠はないし、他にプラットホーム上の乗客に対し商業宣伝放送をすることによつて乗客の安全な輸送を行うのに支障を生じると認めるに足りる証拠もない。したがつて、小田急が列車内又はプラットホーム上で行う商業宣伝放送により控訴人に対する安全輸送義務に違反していることを前提とする控訴人の主張も、理由がない。
(なお、控訴人の小田急の運送契約の債務不履行に基づく請求のうち、商業宣伝放送の差止を求める請求については、小田急との運送契約が継続している間において、その間の将来行われる商業宣伝放送についてのみ許されるものと解されるが、控訴人の主張によれば、日々乗車券を求めて小田急との運送契約を締結するというのであるから、日々降車駅の出札口を出るとともに運送契約は終了し、また遅くとも契約当日の終了までには差止めるべき商業宣伝放送も終了していることが明らかであつて、控訴人は、右運送契約の終了又は右商業宣伝放送の終了とともにその差止めを求めることができなくなるというべきであり、この点からみても、右運送契約の債務不履行を理由とする差止請求は理由がない。)
五次に、控訴人は、小田急の走行中の列車内又はプラットホーム上の商業宣伝放送により、聴きたくもないものを一方的強制的に聴かされない自由という意味での人格権を違法に侵害されたと主張する。
個人は、聴きたくもないものを聴かない自由あるいは聴きたくないものを一方的強制的に聴かされない自由を有するものと考えられるが、これらの自由は一種の人格権と解される。しかし、右のような人格権も、絶対に制約することができないものではなく、個人(法人を含む。)に認められる他の自由との衝突が生ずる場合において、その調整上制約を免れないときがあり、また個人間の契約によつて制約を受ける場合もありうるのである。
ところで、個人は営業の自由を有し、右自由に基づく営業活動の一環として、商業宣伝活動を行う自由(表現の自由の側面をも有する。)を有することも明らかである。旅客運送事業は公共的な性格を有するものではあるが、それが私企業によつて行われる場合には、その公共的な性格、法令又は公序良俗に反しない限り、営業の自由に基づく活動も容認されるべきであつて、その活動が個人の人格権を侵害する結果を生ずる場合においても、その活動の時、場所、態様、侵害の程度等に照らし、個人が社会生活上これを受忍するのが相当と認められる範囲にとどまる限り、その侵害について違法の問題は生じないものというべきである。また、その反面において、個人が鉄道事業を営む者と運送契約を締結する場合には、列車の走行により不可避的に生ずる騒音、列車の正常な運行のため必要とされる乗務員、乗客等に対する指示、大多数の乗客が望む案内等の放送による音響等についてはもちろん、右営業の主体が営利を目的とする私企業であるときには、営業の自由に基づいて行われる宣伝活動によつて生ずる音響についても、それが社会生活上これを受忍するのが相当とされる範囲にとどまる限り、右音響により聴きたくもない音を聴かされない自由という意味における人格権を侵害される事態が生じたとしても、これを受忍すべきものであつて、違法の問題は生ぜず、人格権の侵害を理由としてその排除又は損害賠償請求をすることは許されないというべきである。これを本件についてみると、前記二の2、3認定の小田急が列車内又はプラットホーム上で行つている商業宣伝放送は、社会生活上これを受忍するのが相当な範囲にとどまるものというべきであり、これにより、小田急と運送契約を締結した控訴人の聴きたくもないものを一方的強制的に聴かされない自由という意味における人格権の侵害が生じたとしても、これを違法であるということはできない。したがつで、控訴人の人格権を違法に侵害していることを前提とする控訴人の請求も理由がない。
六そうすると、控訴人の小田急に対する請求は、いずれも理由がない。
第二営団に対する請求について
控訴人は、営団は小田急の軌道上で走行中の列車内において商業宣伝放送を行つていると主張しているが、右主張を認めるに足りる証拠はない。かえつて、<証拠>によれば、被控訴人らは、昭和五三年三月二二日、千代田線と小田急線との相互直通運転契約を締結し、同月三一日から相互直通運転を開始し、代々木上原駅を分岐点として、それぞれ自己の営業線上を相手方の車輛を有償で借り受けて自己の乗務員を乗務させ運行しているものであり(昭和五一年三月三一日、営団の千代田線と小田急の小田急線が相互直通運転を開始したことは、当事者間に争いがない。)、小田急の軌道上においては、営団の車輛が使用されていたとしても、それは、小田急がこれを賃借し、同社の乗務員が乗車勤務してこれを運行しているものであり、列車内での商業宣伝放送も、小田急がこれを行つているものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
そうすると、営団がみずから小田急の軌道上を走行する列車内で商業宣伝放送を行つていることを前提とする控訴人の営団に対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
(なお、控訴人は、商法五七九条の規定の類推適用をも主張しているが、同条の規定は、物品運送に関するものであるばかりでなく、相次運送の場合にある一人の運送人が債務不履行又は不法行為により損害賠償の責任を負うときに他の運送人についても、たとえ固有の責任がなくとも連帯して損害賠償の責任を負うこととするものであるが、本件においては小田急についても損害賠償責任のないことは前示のとおりであるから、右規定の類推適用の余地はないものというべきである。)
第三結論
そうすると、控訴人の請求はいずれも理由がなくこれを棄却すべきものであり、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(香川保一 越山安久 吉崎直彌)